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宵も更けての見回り中に、町屋の間、路地裏からふらふらっと覚束ない足取りで現れたのは。ルフィ親分が危地に陥ると、いつもどこやらから現れて手助けしてくれる頼もしいお人、行脚僧の一種、雲水の、ゾロというお兄さん。緑色の髪を短く刈り、着ている衣紋も…随分と擦り切れてはいるが墨染めの衣。大玉数珠を首に掛け、手には環のついた錫杖。まんじゅう傘に手甲脚絆と、いかにも行脚僧ならではの恰好をしている彼ではあるが、本当に全国行脚をしているのかどうかは怪しくて。この恰好でいれば託鉢へのお布施という形で町の皆さんからのささやかな援助が得られるからと、僧籍もなければ心得もない者が真似ごとをして日銭を稼ぐ例も珍しくはなく。もしやしてこの男もそういった“似非”の類いの、言わば“詐欺師”ではないかとサンジ辺りが言ってもいたが、
『…それはないと思う。』
だってルフィは知っているもの。困った折に颯爽と飛び出して来ては、悪い奴らを一手にからげてくれて、孤立無援状態にあったルフィを助けてくれる手際のよさと。それが片付くといつの間にか姿を消してる見切りの鮮やかさと。詐欺師だったらそういう手助けを持ち出して、恩を売ったり笠に着たりするんだろうに。後々 町で出会っても、そんな話はおくびにも出さないゾロだったし、礼を言おうとしても“何の話だ?”と途惚ける時さえあるくらい。
『岡っ引きが民間人に助けられてるんじゃ本末転倒だろうがよ』
なんて言い方をして。
『それは親分と俺との内緒な?』
なんて、人を子供扱いして。
“そうだぞ、いつも偉そうに大人ぶってやがるくせしてよ。”
一体どうしたものなのか、こんな時間にすっかりと消耗しての気絶寸前という態でいるなんてよ。
「せんせーっ、チョッパーせんせーっ!」
相長屋の端っこに住まわる小さなお医者様の自宅へ到着するや否や。灯火の乏しい中流階層の住宅街にては、とうに寝静まってるお時間だってのにも関わらず、大声張り上げての障子戸を叩き、起きて開けてとの大騒ぎ。………岡っ引きだからったっても限度があろうに、親分さん。(う〜ん) 幸いにして、
「…な、何だ何だ?」
小さなトナカイのお医者様、まだ眠ってはいなかったらしく。すぐにも戸が開いてのお顔を出してくれたので、
「急患だっ、後生だから診てやってくれねぇかっ?!」
急き込むように訴える親分へ、そこはお医者の本領発揮で、そりゃあ素早くお仕事モードへのスイッチが入る。
「判った、とりあえず中へ入んな。」
腕のいいお医者様だって事が知れ渡っているせいでか、このくらいの闖入者では周辺の住人の皆様ももはやいちいち飛び出しては来ないらしく。二人を中へと招き入れ、がたぴしとつっかえる戸を締め切ると、辺りは再びの静けさへ立ち戻る。短い土間から上がってすぐの居室は、こんな小さな長屋にしては結構広い、横長の板の間のお部屋になっていて。後で聞いたら、お隣りとの2軒分をぶち抜いての診療室にと改造してあるのだとか。その一角の文机の上へ灯していた燭台から天井の吊るし行灯へ、手早く移した火で灯された明かりが増えると、診察用なのだろう、高さのある寝台が据えられてあるのが浮かび上がったのへ、
「そこへ寝かして。」
「おうさ。」
一応の消毒にと手を洗っている先生からの、てきぱきとした指示にしたがったルフィ親分。大柄なお坊様を晒布張りの寝台の上へと横たえてやると、すぐ傍らに大人しく控えて、トナカイのお医者様が診察を始めるのを見守ることとなった。依然として意識はないので、本人への問診は出来ないが、
「脈は…ちょっと早いけどこのくらいなら問題ないか。点状出血はないから窒息した訳でもなし、と。」
寝台の周囲をちょこまかと忙しく動き回りながら、それでもさすがは手慣れた手際で。手首や喉元に手をやりの、瞼をちょいと引き上げの、一番最初に必要な基本の診察を進めてゆく、頼もしきチョッパーせんせーであり、
「おでこに内出血しそうな真新しいコブがあるが、覚えはないか?親分。」
「さぁて?」
こらこら嘘を仰有いっ! そのコブはあんたがさっき、急停止かけた時に放り出されかけての木戸の柱でぶつけて作った…もがむが〜〜〜。
「ふむふむ…。」
今現在の様子というのをとりあえずは把握できたらしい先生、やっとのことで安堵の吐息をついて見せ、
「うん。問題はないみたい。」
緊迫に強ばっていた表情を和らげて、大事はないとの結果を告げる。見た目はちんまくての幼いが、これでも蘭学の心得まで修めたという博識で努力家のお医者様なだけに、そのお診立てに間違いはなかろうとの信頼も厚く。
「いやあ、どうなるかと思ったぜ。」
自分がだったり巻き添え食わせたお人をだったり、色んな格好でいつも世話になっているルフィとしては、これ以上の太鼓判はないとほぉっと胸を撫で下ろすばかり。
「いやぁチョッパーせんせー、子供だからよ。もう寝てたらどうしようかと思ってよ。」
こらこら、ご面倒かけた先生へなんて言いようをしてるかな。さすがにこの言われようにはカチンと来たか、
「子供じゃないっ! オレはトナカイだっ!」
「………いや、うん。それは判ってる。」
やっぱり眠いのかもしれない。(笑) 冗談はともかく、
「多少の打ち身とかはあるけれど、どれもこれも掠り傷みたいなもんだ。」
こんだけ鍛えていての、筋骨隆々とした身をしたお人だし、体の使いようも手慣れていてのことだろう、
「真っ向から殴りつけられても、どうやれば力を逃したり分散させたりが出来るのか、そういう身ごなしを本能みたいなレベルで身につけているお人みたいだから。」
痣の大きいのもあるにはあるが、上手に庇ってのこと、重大な怪我は何処にもないよと告げてのそれから、
「ただ、気になる匂いがする。」
「匂い?」
繰り返すルフィへと幼い所作にてうんと頷いて、
「もう随分と気化されてるけれど、これって麻酔なんかに使う特殊な薬だ。それを、匂い水に混ぜての誤魔化して、振りかけられたか嗅がされたのか。」
それでも戦ったのならば、動けば動くほど薬が回って意識が朦朧としてもいただろうから、かなり大変だったろうにと思うよと付け足され、
「匂い水って、サンジが言ってたあれか?」
おフランスで結構早い時期に発達したのが香水という嗜好品。今でこそファッションアイテムの一つ、お化粧品扱いの代物だが、生まれた当初は冗談抜きに“匂い消し”が主目的だったそうで。ただでさえ肉食中心の食生活だわ、しかもその上、あんまりお風呂に入らなかったという欧州の人々は、その体臭がしゃれにならないほど物凄く。それでと薫り高いバラやラベンダーなどなどといった花々から抽出した希少な精油を煮詰めた“エッセンスオイル”にて、手間暇かけての作られて重宝されたのが“香水”の始まり。それに比べりゃよっぽどのこと綺麗好きだった日本では、香りは焚きしめての微かな仄めかしで楽しむ小粋なもの。香木のかけらを使った、今でいうポプリでも十分に、あらいい匂いねぇと気がつけたし、秘やかであるからこそ小粋なお洒落であったのだけれども。そんな高級高尚な嗜みなんか蹴っ飛ばせとばかり、お江戸の末期辺りになると和蘭陀渡りの“匂い水”が上陸し、そのままじゃああんまりにも強すぎるのでと希釈したものが、主には花街で流行しもしたそうな。ここグランドジパングでも似たような普及を見せている代物であり、だが、
「外海渡りの舶来品が、何でまた花街から流行るのだろか。」
今で言うところの広告屋、様々なお店の商品や企画を広く知らしめるのが商売の“広め屋”なんぞが、これ以上の広告塔はないからと、花街一番と折り紙のついた美女や、公けには人をたぶらかす存在とされていた役者に売り出したい商品や新しい意匠を使ってもらいの、広く宣伝したという話もあったそうだが、すこぶるつきに高価なもの、購買層として当て込んでいる相手だって庶民じゃあなかろうと思えば、どうしてまたそういう商品が花街で先に広まっているのかなと。実に素朴な疑問を抱いた親分へ、
「別に、お姉さんがたが好んでの進んで買うって訳でもないんだろうさ。」
おやや、チョッパーとも違うお声が割り込んで来ての応じて下さり、声のした戸口のほうをば見やったところが。平たい手桶を提げて入って来たのは、金髪痩躯の板前さん。
「サンジ?」
「よお、やっぱり親分だったか。」
とある武家屋敷の中間部屋への夜食の配達からの帰り道、通りすがりの大路にて、何だか覚えのある人影が、あっと言う間にすれ違ったものだから。その方向から大体の状況を見定めて、店へと戻るとお片付けの傍らに、簡単なお夜食を作っての差し入れに来て下さったのであるらしく、
「わあ、木の葉丼だvv」
薄く切ったカマボコとささがきにした青ネギを、軽く煮ての玉子でとじたのをほかほかご飯に乗っけた丼。素早く作った“まかない”だから、豪勢でなくて済まねぇがと。ほれと二人のおチビさんたちへ差し出せば、いただきますとの唱和もお行儀よく、お箸を取っての食べ始めるお二方だったけれど、
「なあなあ、サンジ。」
「ああ?」
「さっき、お姉さんがたが好んでの進んで買うって訳でもないんだろうさなんて言ってたけどもよ。」
「ああ、うん。つまりだ。」
どうせ病人は胡散臭い坊様一人だからと思ってか、煙草入れから取り出した細い煙管を咥えつつ、サンジが続けて語ったところによれば、
「花街に客として来るのは男衆だからな。そこで女性が買いそうなもんを宣伝したって、あんまり外にまでは届きゃあしめぇ。むしろ夫婦喧嘩のタネなんぞになるだけだから。役者の女形に使ってもらった方がよっぽど効果はあろうさ。」
うんうんと頷く無邪気な二人へ、
“本当に意味が分かっているのかねぇ。”
板前さんとしては口元の苦笑を濃くしつつも、深くは突っ込まずに流しての続けて言うには、
「それでもまとわせて話題にするのは、そういう高価なかぐわしいもので飾り立てておりますよとして、お留守居なんてな格のお武家様にお得意様を増やしたり、彼女を落としたいならこのくらいの贈り物をしなければと思わせたり。つまりは、それを買いそうな相手へ向けての、これもまた立派な宣伝な訳だから。輸入元や販売元の店が安くで提供するか、はたまた、妓楼の主人がまとめ買いしての売れっ妓たちへ配るか。」
ひどい店だと勝手に女の子のツケに書き足して、年期を更に延ばすなんてな阿漕な手を使うこともあるらしいがなと、ままこれは口には出さなかったサンジさんであり。無垢なお子様がたには要らぬ怒りを植えるだけ。
“大人になってから、自分で気づいて自分で何とかしようと思ってもらおうさ。”
何たってこれっぱかしは、さしものフェミニストで鳴らしたサンジでさえ、どうすることも出来ない問題なだけに。せめて大人になってからとのベールをかけさせてもらった次第。それはさておき、
「…そんなもんを扱ってる奴が相手って訳か。」
う〜むと唸った親分へ、
「相変わらずの破戒僧みてぇだな。」
大方、客を眠らせての枕捜しでもするような安もんの太夫を揃えた、半端な妓楼へでも引っ張り込まれたんだろさと。しょうがねぇ奴だよなと苦笑したサンジだったが、
「…違う。」
「はい?」
妙な遮り方をされ、相手をひょいと見やってみれば、
「ゾロはそんなことしねぇもん。」
「だがな、現に。」
「しねぇもん。」
「お〜や〜ぶ〜ん。こんだけガタイのいい、いい年したお兄さんだぜ?」
「そんでも。」
「坊さんでも宗派によっちゃあ、
女の人と寝ていい子供作ってもいいってところもあるって言うしよ。」
「そういうのとも違うっ。」
怒鳴りはしたが、
“…おんやぁ?”
大きな双眸を潤みで一杯にしての反駁は、いつもの世間知らずから来る駄々とも、どこか微妙に違うよな。
「きっとゾロは、女の子が無理から働かされてるような妓楼に乗り込んでってのお説教をしたんだ。それをうるさがられての追い出されそうになって、この判らんちんどもがーって怒っての喧嘩になっちまったんだ、きっと。」
「…おいおい。」
いくらお子様だとはいえ、これでも岡っ引きだ、花街の妓楼の何たるかくらいは知っているルフィでもあろう。だからこその“そんなことはない”との主張だとして。何でまた、このお坊様をこうまで庇う彼なのか。上手く抗弁出来ないことさえ悔しいのか、う〜〜〜〜っと唸ってばかりのルフィと向かい合うこと…少しばかり。
「あっ、ここにいたのか親分っ。」
再びの不意に、またまた障子戸ががたりと開いて、顔を出したのはルフィの子分のようなもの、下っ引きのウソップという青年であり。
「どした、ウゾップ。」
あわてて腕を持ち上げ、袖でぐいぐい目許を拭うルフィには気づかぬか、自分が抱えて来た用向きを、機関銃の如くの勢いでまくし立て始める。
「佳苗町の両替屋に強盗が押し入ったらしいんだ。家のもんは無事だが、金子を五百金も盗まれた。」
そういや遠くに呼び子の響き。結構な捕り方が出ての騒ぎになってもいる模様。
「判った、すぐ行く。」
ぐしっと鼻の頭を拭ってそして、それまで向かい合ってた相手へと改めて向き直ると、
「サンジ。」
「へいへい。」
「御馳走さん。」
深々、頭を下げてから。チョッパー先生へも目礼を寄越すと、そのまま慌ただしくも外へと駆けてった親分さんであり。
「…ったくよ。」
い〜〜〜〜だっくらいの憎まれを置き土産にして行くかと思いきや、あれだもんよと苦笑い。そんな板前さんが、結局は火を点けなんだ煙管をしまい込みつつの、そんな所作のついでのように呟いたのが、
「あの親分にああまで真っ直ぐ想われてんだ。詰まんねぇことで泣かしやがったら、俺が承知しねぇからな。」
診察台の上にマグロのように横たわったまんまのお坊様へと、憎々しげに口元を歪めての言い放つ板前さんであったりし。
「サンジ、お坊さん、まだ意識戻ってないぞ。」
「じゃあチョッパーが伝えといてくれ。一言一句間違えずにだ。」
「ひょえぇ〜っ!」
そんなのヤだよう、このお坊様強そうだもん、怒らしたら叩かれるよう。何言ってるか、ルフィがそんなお人じゃあないって言ってたろうが。くすすと笑っての言いようは、既にルフィのご意見を、肯定してやってるようなものだったりしで、
“なんだ、こいつ。”
親分の一体何なんだろかと、実は聞き耳立ててた誰かさん。親分さんに庇われて、緩みそうになってたお顔を冷ますには、ちょうど良かった相手だけれどと、仏頂面に戻りつつ。こちらはこちらで、新たなむっかりを抱えたらしいお坊様だったりし。何だかややこしい梅雨前の宵は、こうして静かに(?)更けてゆくのでありました。
〜Fine〜 07.6.12.〜6.16.
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*これもまた“進展”と読んでいいものなやら。
親分さんの一途な恋へ、
どうやら板前さんは本人より先に気がついたみたいです。(くすすvv)


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